東京と京都のおける初の大学生と旧制高校ラグビー

日本のラグビーの歴史研究者によると、1899年に初めて田中銀之助とエドワード・B・F・クラークが慶応義塾の学生にラグビーを教え、1901年12月、慶応義塾が横浜カントリー&アスレチックグランド(YC&AC)と横浜公園にあるクリケットグランドで試合したと言われている。

Keio Gijuku rugby team in 1901 with Clarke and Tanaka, who both played against the YC&AC, in white (Clarke left)
Keio Gijuku rugby team in 1901 with Clarke and Tanaka, who both played against the YC&AC, in white (Clarke left)

しかし、1899年以前にも横浜でラグビー方式のルールによる試合を通常していた証拠も判明した。

また1870年代後半、工部大学校(明治初期に工部省が管轄した教育機関、多くの外国人教師が在籍した。東京大学工学部の前身)の日本人学生がフットボール(サッカーでない)をしていた証拠も存在した。ある英国教授は、次のように書いている。「フットボールクラブが立ち上がり、学生たちはゲームのルールを無視してプレーしていると実際徐々に熱くなってきた」と。残念ながらこのフットボールは長くは続かなかった。

1890年初期に旧制一高で野球の日本化と武士道化が見られたが、慶応義塾は今なお日本スポーツに占めるユニークな学生ラグビー文化を生み出した創始者であることには間違いない。

Keio University & KR&AC teams (date unknown)
Keio University & KR&AC teams (date unknown)

何人かのライターは、慶応義塾がラグビーを紹介した後、ラグビーが普及したと主張するが、明らかにこのチームの次にできたのは東京、横浜、神戸でもなく古都京都であった。それは慶応義塾の10以上年後であった。

ラグビーを導入した2番目のチームは1901年、旧制三高であったが、まだ正式に発足したクラブではなかった。旧制三高はその後、京都大学になり、ラグビー部は1922年に発足した。同志社高校から遠くない下賀茂神社の大きな石にどのようにして慶応義塾の指導で神社の旧制三高の学生が関西で初めてラグビーが行われたか碑に描かれている。

Sanko captain introduced to Edward, Prince of Wales (Later King Edward VIII) before match in Kyoto against KR&AC
Sanko captain introduced to Edward, Prince of Wales (Later King Edward VIII) before match in Kyoto against KR&AC

お分かりのように、彼らは旧制一高の学生同様に20代前半の旧制三高の学生だった。旧制三高は1911年4月、初めて慶応義塾と対戦し、39対0で負けた。同志社は1912年1月、やはり慶応義塾と対戦し24対3で負けた。

それからおおよそ10年、この3チームの他、YC&AC (横浜カントリー&アスレチッククラブ)KR&AC(神戸レガッタ&アスレチッククラブ)だけが日本でラグビーを楽しんでいた。1920年頃になると慶応義塾と旧制三高、同志社の力の差は縮まり、慶応義塾は勝てなくなった時代を迎えた。しかし、第一次世界大戦の間、試合は行われなかった。

YC&ACに勝つことをめざしていた慶応義塾のように、旧制三高もまた神戸のKR&ACのラグビーチームを打ち負かすことをめざしていた。

KR&ACで数年キャプテンだったW.P.ジエイムスは彼の息子に「1913年、試合で旧制三高のグランドに着いた時、2千名以上の学生がラグビースタイルでおり、試合の準備をしていたのには驚いた」と語っている。1922年、エドワード・プリンス・ウェールズ(後のエドワード8世)がKR&ACと旧制三高の試合を観に来られたことは京都のラグビー史の残るひとつ画期的なことである。(写真参照)

しかしながら、学生ラグビーといえばすなわち大学ラグビーのことである。1911年に創設された同志社高校は、日本で最初にラグビーをプレーした高校であると言われている。同志社大学ラグビー部100周年記念誌によると、1912年5月(明治45年)、明治時代の終わる2ヶ月前、同志社中学(現同志社高校)と京都第一中学(現市立洛北高校)の試合が高校生(U18,19)のラグビーの試合が最初と記録されている。

Early Doshisha team
Early Doshisha team

重要な普及成長の期間に、日本にラグビーの普及を果たした役割がより認知されるほど京都が評価されているにもかかわらず、中学校でのスポーツの導入は大学と同じように遅かった。

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