YC&ACラグビー150周年記念イベント

背景

150年の歴史を持つ “開かれた “ラグビークラブは、世界でも数えるほどしかない。横浜港にある横浜カントリー&アスレチッククラブ(YC&AC)はそのひとつで、1884年に合併して現在のマルチスポーツクラブとなった4つのスポーツクラブのひとつである。1866年当時、日本はまだ大名と武士に支えられた将軍によって統治されていた。

残念なことに、この長い歴史は失われ、2009年になってようやく明らかになった。そのため、2008年から第2次世界大戦終結までの間にクラブでプレーした何百人もの選手は、クラブでプレーした当時、このクラブの長く輝かしい歴史を知らなかったのである。YC&ACのラグビーの歴史を検索すれば、1860年代に英国の「Tommies」(英国軍の愛称)によってラグビーがプレーされていたという記述をJRFUの歴史書でさえも簡単に見つけることができたが、同じTommiesの将校たちがクラブの設立に関与していたことは誰も知らなかった。

150周年記念式典の企画と概要

クラブ関係者は、翌日が毎年恒例のYC&ACセブンズトーナメント(日本最古の7人制ラグビー大会の第59回大会)であることから、2016年4月2日(土)に150回記念式典を開催することを決定した。ラグビーの試合の後、ブラックタイ・ディナーが予定されている。

早朝は雨の予報だったが、4月2日は天候に恵まれ、クラブ創立150周年記念行事は思い出深い一日となった。ケーキの上のアイシングは、午後9時頃にサプライズで登場したエディー・ジョーンズ元日本代表監督だった。

この日は、キッズラグビーのお祭りから始まり、正午にはゴールデンオールドゲーム「クラシックYC&AC対KR&ACインターポート」がキックオフされた。神戸レガッタ&アスレチッククラブ(KR&AC)とYC&ACの交流戦は1901年に始まり、2000年代後半にKR&ACがチームを編成できなくなるまで、日本ラグビー界最古の試合だった。当初は神戸にライセンスを与え、KR&ACを代表する関西チームを集めて第150回大会に出場させるという案があったが、関西の主催者にとってはそれすら難しいことが判明した。

同時に、正午に予定されていたゴールデン・オールディーズYC&ACチーム、アジアン・マローダーズと東京サムライのゴールデン・オールディーズ戦に、20分ハーフをこなせる高齢の健常者を集めるのも困難だった。特に、サムライの最も熱心で優秀な選手たちや、第150回フェスティバルにも登場するはずだった80代以上の体格のいい選手たちのほとんどは、同じ日に大阪で開催される別の大きな「シニアラグビー」のイベントにすでに参加していた。

これらの問題の解決策は、YC&AC対KR&AC戦を正午からのゴールデンオールディーズゲームにすることだった。神戸にゆかりのある選手は3人しか現れなかったが、KR&ACチームには幸運にも、70歳以上であることを示す黄色い短パンをはいた日本のサムライ・プレーヤーと、東京の音羽クラブから5人の若くてスキルの高いOBをリザーブとして招き、YC&ACチームは主に1970年代と1980年代の引退したYC&AC選手で構成され、そのほとんどがこのイベントのために特別に空輸されてきた。

約10年ぶりのインターポートラグビーマッチということで、2つのテレビ局がタッチラインに集まり、1949年にYC&ACのグラウンドで初めてラグビーをプレーした「シム」島村が所有し運転する珍しい黄色のメッサーシュミット3輪車で、試合のレフェリーであるKR&ACの1980年代中盤のキャプテン、イアン・ノークスと試合球がフィールドの中央まで運ばれるという珍しい幕開けとなった。

YC&AC vs KR&AC

150周年記念:クラシック・インターポート – ベイカーが躍進

数回の練習の後、ノークスの大きな笛が鳴り、観客とテレビカメラが緊張した面持ちで試合が始まった。当初、YC&ACは試合を支配していた。63歳のクリス・ベイカーは、KR&ACの多くの日本人選手を圧倒し、何度も長い距離を走り、止めるのが難しかった。KR&ACの攻撃は、元日本代表のスクラムハーフで関東学院のコーチとして活躍した原口博史の得意技で、観客の息を呑むような速さで打ち切られた。YC&ACが得点するのは必然であり、得点した。そして、ビル・ベイカー(クリス・ベイカーとは無関係)が主役の動きで再び得点した。書類上は、YC&ACはKR&ACを撃破するはずだった。KR&ACの日本人選手の多くは、70歳以上であることを示す黄色いパンツをはいていた。しかし、見かけによらず、高齢の黄色いショートパンツをはいた選手たちの多くは、今でも頻繁にラグビーをプレーしており、かなり速いランナーだった。KR&ACでプレーする音羽クラブの5人の選手は、後半になるにつれて力強さを見せ始め、川合さんが多くのサポートを受けながら得点を決めるまで、それほど時間はかからなかった。試合終了のホイッスルが近づくにつれ、KR&ACがあと1トライで大逆転勝利を収めるという緊迫した状況になってきた。8番を背負ったクリス・ベイカーがスクラムの後方から拾い、走り出したが、年上の日本人選手に巧みにボールを奪われ、YC&ACのトライラインを目指した。川合さんはKR&ACの黄色いシャツを着た4人ほどの選手によくサポートされ、YC&ACの150周年記念の特別デザインのラグビーシャツを着た選手がディフェンスしているのを見るのは難しかった。イアン・ノークスが試合終了の笛を吹き、KR&ACが辛くも勝利を収めた。そして、スコティッシュ・バグパイプの演奏がとても上手な日本人の紳士によって、両チームはパイプで退場させられた。試合に参加したすべての人が、素晴らしい経験だったと評価している。KR&ACがインターポートラグビーの伝統を維持するためにチームを結成できないのは非常に残念であり、神戸のスポーツマンたちがすぐにこの問題を解決してくれることを期待したい。

150’sゴールデンオールディーズ・インターポート 2016年4月2日 with インターポートシールド

香港を含むレディースセブンズ

ようやく到着した香港のレディースチームは、日本のレディース2チームには強すぎた。

YC&AC 1st XV vs どんぐりクラブ

1946年に創立され、先ごろ創立70周年を記念して秩父宮ラグビー場で試合とレセプションを行ったどんぐり倶楽部は、1950年代からこの70年間、YC&ACにとって関東で最も手ごわい相手だった。しかし4月2日、彼らはおそらく最強のチームを連れてきてはいなかっただろう。KR&ACの元キャプテン、ポール・ボイランの息子と私の息子によって強化されたYC&ACチームは、それほど苦労することなく勝利を収めた。

第150回夕食会

ブラックタイ・ディナーには、以下を含む180名以上が出席した。

エディー・ジョーンズのスピーチ

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